阪神タイガースの過去を振り返ります。
今回は、1985年の優勝からの2年間、1986、7年にさかのぼります。
連覇の夢もいきなり、、1986年
1986年は、前年から日本一連覇が期待された年ではあるが、開幕カードの大洋に3連敗を喫す、最悪のスタートとなる。
その後、4月20日に掛布雅之が右手首に死球を受け、また、日本人エースとしての定着を期待されていた池田親興も5月27日にかかとを骨折し、そのままこのシーズンを棒に振ってしまう。
前年の勢いが戻らないチームは6月中旬まで勝ち越せず、借金生活が続いていく。
バースだけが、、
唯一の明るい材料は、ランディ・バースは、前年三冠王の勢いをキープし、6月にて、日本記録タイとなる7試合連続本塁打 を放つとチームは勢いがつき、チームの9連勝をけん引する。
首位戦線に浮上するまで復調したものの、8月の高校野球で 甲子園が使えない死のロード期間中に調子を崩し、6連敗などもあり、優勝戦線から脱落。
結局、バース以外の選手は前年の輝きを失い、最終的には、貯金ゼロの3位でシーズンを終える。
好調を維持したバースは日本プロ野球新記録の打率3割8分9厘を記録など、2年連続での3冠王を達成した。
田尾安志が加入 1987年
1987年は、中日、西武で活躍、新人王やセリーグの最多安打を3年連続で獲得するなど人気も実績も十分で、地元大阪出身の田尾安志を吉竹春樹などとの交換トレードで獲得する明るいニュースからスタート。
昨年の不振からの復調を期待が高まる中、開幕前から暗雲が 立ち上る、グランド外ではあるが、掛布雅之が3月22日に 酒気帯び運転、ランディ・バースが3月27日にスピード違反と相次いで検挙される。
そんなムードの中、迎えた開幕も4月に7連敗を喫し、最下位に転落する。
打撃不振は深刻に、
1番真弓と、強力クリーンアップへのつなぎとして期待された田尾安志も活躍できず、5月に入るとスタメンから外れるようになる。
グランドで奮起しようとした4番、ミスタータイガースの掛布雅之も 打撃不振から復調できず、5月末には二軍落ちする。
さらに追い打ちをかけるように打撃コーチ補佐の竹之内雅史が6月末に退団する。
チームの打撃不振に伴う吉田監督との衝突によるものだった。
打線は全く復調せず、チーム打率はリーグ最下位を記録し、頼みのバースも3年振りの無冠、チーム勝率は過去球団ワーストの3割3分1厘でリーグダントツ、チームとしては9年振りの最下位に甘んじる。
この結果では、監督吉田も辞任に追い込まれた。
日本一からの2年での陥落。
ファンも打線の勢いにより、長期政権を期待していた為、大きく落胆した年になった。