タイガースの歴戦記No.6 日本一! 1985年!

阪神タイガースの過去を振り返ります。

今回は、阪神タイガースファンが最も熱かった年、1985年にさかのぼります。

21年振りのリーグ優勝と、球団唯一の日本一

この年の象徴は、第二次ダイナマイト打線と称された 強力打線である。

この年に監督に就いた吉田義男は1番に強打の真弓明信を 置き、クリーンナップも3番ランディ・バース、 4番掛布雅之、5番岡田彰布と強力なメンバー。

この4人共が、打率3割以上で本塁打30本以上を放つ 活躍もあり、チーム本塁打数はセリーグ記録を更新する 219本にもなった。

また、この強力クリーンアップのこの年を象徴する エピソードは何といっても、「バックスクリーン3連発」 である。

開幕間もない4月17日、甲子園球場での巨人戦の7回裏。

3対1で阪神が2点を追いかける状況で、二死一・二塁で 3番打者のランディ・バースを打席に迎える。

この日までの開幕3試合で15打数2安打打率1割3分3厘と 絶不調だったランディ・バースは、槇原の初球143km/hの シュートをバックスクリーンに放り込む3ラン本塁打を放つ。

続く4番掛布雅之は、1ボール・1ストライクから向けた 3球目高めに入った144km/hのストレートをバックス クリーンの左観客席に飛び込む本塁打で続けば、 5番岡田彰布1ストライク後の2球目高めに入った槇原の 129km/hのスライダーをバックスクリーン左寄りに 叩きこんだ。

この三連続本塁打の逆転劇で不調のバースが調子を取り戻し、 ファンも狂気乱舞で、このまま優勝に突き進んだと後の シーズンを振り返る際に語られることが多い。

バックスクリーン3連発に隠れた真実

しかしながら、この試合でもう一つ、この年の優勝に 繋がる為に重要な出来事があったことは、あまり知られていない。

3連続本塁打で6点まで奪ったタイガースも、ジャイアンツに 追い上げられ、1点差まで詰め寄られる。

これを最後に抑えたのは中西清起だった。 中西は、高知商業高校時代に春・夏の甲子園で活躍し、 水島新司氏の漫画の主人公にちなみ、「球道くん」と 親しまれた選手である。

高校3年生でドラフト1位指名を受け、1984年に 同年の1軍登板は1勝6敗と活躍に至らなかった。

その周囲の期待の大きい2年目の若手投手が、 この「バックスクリーン3連発」の試合の勝利を守り切り、 自身もプロ入り初セーブという大仕事を果たしたのである。

このように投手陣も、先発はリチャード・ゲイル、池田親興 中田良弘らが試合中盤まで頑張れば、福間納が繋ぎ、あとは、 ダブルストッパーである山本和行、中西清起が抑えるという 勝利の方程式が機能して、白星を量産していく。

衝撃の日航機事故

8月12日に発生した日本航空123便の墜落事故で 球団社長の中埜肇が犠牲になったこと、 実はタイガースナインはその直前のフライトに搭乗していたこと もあり、動揺が広がり、連敗を喫すなどで、一時は首位陥落した。

また、優勝が現実味が帯びてきた9月に、ダブルストッパーの 片翼である山本和行がアキレス腱断裂で戦線離脱。

その山本の穴を逆に団結の力でカバーし、10月16日の 神宮球場でのヤクルトスワローズ線21年ぶりのリーグ優勝! その後、西武ライオンズとの日本シリーズも4勝2敗で 勝ち越し、2リーグ制になったから初めての日本一を 達成し、シーズンを締めくくった。

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