阪神タイガースの過去の歴戦を振り返るシリーズです。
今回は、中村勝弘監督の4年目シーズン1993年~1994年にさかのぼります。
その補強失敗? 1993年
1993年はオフの補強で賭けに出ました。
前年の好調さをさらにステップアップさせようと、オリックスとの交換トレードで史上最高スイッチヒッターと称される松永浩美を獲得するんです。
松永を獲得したことで、主力選手のポジションが玉突きのように変わっていく。
松永がサードである為、サードだったオマリーがファーストへファーストだったパチョレックがレフトへレフトでは八木と併用され。。。
これが悪かったんでしょう。 結局、スタートから躓き、8月まではBクラス。
9月に一時3位に浮上するも最終的には、4位と再び低迷してしまう。。
明るいニュースは、打者ではオマリーの首位打者!投手では猪俣が自身初めての二桁勝利を達成ということでしょう。
それよりも阪神ファンとしては、暗いニュースの方が大きかったと言えると思います。
松永をトレードで獲得する為に放出したのは若手右腕で期待の高かった野田浩二。
当時のヤクルトスワローズの監督、野村克也は、野田の決め球をもじり、移籍の際に「フォークのお化けが消えた」と喜ぶほどであり、この逸材の放出はファンの間でも疑問視される声は多かった。
事実、野田投手は、移籍の際に和田豊から選別代わりの投球フォームのクセの指摘を改善し、移籍初年から活躍するんです。
この年、4試合連続2桁奪三振などを記録し、17勝を上げ、最多勝のタイトルを取るまで。。
また、松永はというと、序盤からの故障で出場は80試合のみ。。
ペナントレースの大勢が固まりつつある8月にようやく復帰し、3試合連続先頭打者本塁打という世界記録を樹立するなど、らしさを見せる場面もあった。
しかしながら、最もファンを残念がらせたのは、 同年オフに阪神タイガースを去ったことだろう!
日本球界初のFA権を行使により福岡ダイエーホークスへ移籍してしまう。
何よりも、将来有望視されていた野田浩二を放出してまで獲得した松永博美が、期待された活躍せぬまま失うという、ファンとしては非常に悲しい出来事で締めくくられた年であった。
懲りずに和製大砲を、、1994年
1994年は、松永の抜けた気持ちの穴を埋めるべく、再びオリックスから右の大砲 石嶺和彦をFAにて獲得する。
石嶺は、全試合出場するが、打率は2割4分6厘と低迷。
大砲の片りんとしては、10年連続となる二桁本塁打の17本塁打と、チームトップの77打点を上げた。
ただ、主砲がこの成績ではチームも浮上せず、シーズンのほとんどをBクラスで過ごし、最終的にも4位タイという低迷した成績に終わってしまう。
この2年は、和製大砲を睨み、オリックスから2名の選手を獲得するものの、期待された活躍が得られず、苦しいチーム運営を強いられたシーズンとなった。